Life Goes On
アスランの部屋のドアを開けて、キラはしまったと足を止めた。
「・・・・っ、ぅ・・・・・」
ベッドから、小さく洩れるうめき声。
翠の瞳がキラを映して見開かれ、飲み込み損ねた嗚咽が、また、洩れる。
「っ、グ・・・」
ぼろぼろと、こぼれる涙。おそらく彼は、こんな姿を自分には見せたくなかっただろう。
でも。
それでも。
キラは、アスランの横たわるベッドへと歩み寄った。
「くっ・・・」
慌てて涙を拭おうとしたアスランが、今度は明らかな苦痛の声を洩らした。
包帯だらけの腕。震える、指。
「アスラン、動かないで」
キラは、絶え間なくこぼれ落ちる涙を、代わりに拭い取ってやる。
初めて触れた彼の涙は、酷く、熱かった。
「ふ・・・っく・・・・」
平静を取り戻そうと、無理な力に引きつっていた頬が、キラの指に触れられて、くしゃりと歪む。
そうして、アスランはシーツに顔を埋め、いっそう酷く泣き出した。
ああ。
僕の前でも、君は泣いてくれるんだな。
それは、キラの内にわずかな歓喜を呼び起こし。
そしてすぐに、自己嫌悪へと落ちて行った。
ただ、カガリとキラを守りたかったのだと。
だから力が欲しかったのだと。
彼は、そう言っていた。
そのために、キラとさえ戦って。
仲間に撃たれて。
こんなに、ぼろぼろになって。
キラは、嗚咽と痛みにひくんひくんと震えているアスランの体を、できるだけそっと、腕の中に収めた。
傷に、障らないように。
心にだけ、触れるように。
「・・・っ・・・グ・・・・・」
アスランは、本当に泣くのが下手だ。
「もっと、大きな声出した方がいいよ、そうしたら、少し、楽になれるから」
「っ、っ、く、うぅ・・・・・」
しかしアスランは、低く唸りながら泣くばかりで。
それからしばらく、彼は震えながら泣いていた。
キラは、つられて出て来そうになる涙を我慢しながら、彼が泣き止むまで、ずっとそうしていた。
「・・・ありがとう、もう、大丈夫だ」
「ほんと？」
やっと顔を上げたアスランの、涙に濡れた瞳をのぞき込む。
彼の目に、もう一度自分が映っている、不思議。
「大丈夫では、ないかも知れないが・・・でも、大丈夫だ」
そう言ったアスランに、キラは、こくんと頷いてみせた。
「でも、無理はしないでね」
「ああ」
大丈夫じゃなくても、そうとは言えない親友の性質を、キラは、よく知っている。
自分と違って、彼が大丈夫でなくなる時は、死ぬ時しかないのだと。
頬を濡らしたままの涙を、軍服の袖を使って拭き取る。アスランは、大人しくされるがままになっていた。
アスランに涙を拭ってもらったことは、それはそれはたくさんあったのだけれど、その逆は、したことがなかったから。
お互い、少し、変な感じだ。
「ありがとう、アスラン」
心が、幼い頃に戻っていたのだろうか。
感謝の言葉は、簡単に出た。
「僕たちを、守ってくれて、ありがとう」
触れたままのアスランの頬が、ひくりと強張った。
そのまま、悲しげに目が伏せられて。
「い、や。俺は、何も・・・」
何も、出来なかった。と、そう言うアスランに、キラはそっと首を振る。
「でも、君だけだから」
そう、アスランだけだから。
「カガリはともかく・・・僕まで守ろうとして戦ってくれるのって、君だけだから」
誰よりも巧くＭＳを扱う者。
伝説のフリーダムのパイロット。
そんなキラを守ろうと、体を張ってくれるのは、アスランだけ、だから。
「ありがとう。アスラン」
アスランの頬に、また、涙が流れて。
キラはもう一度、それを拭った。
「・・・・難しいな」
ほつりと、アスランが呟く。
頬が赤いのは、泣いたせいか、それともキラが擦りすぎたせいか。
「何かを守ることは。力を得ることは、本当に、難しい・・・」
「そうだね」
キラを守りたいと言ったアスランは、その力を得たためにキラと戦ってしまった。
オーブを守りたいと泣いたカガリは、そのオーブに銃を向けられた。
思いだけは、こんなに強いのに。
それを成すことは、こんなにも難しい。
「大切な人を・・・守りたいと。もう、失いたくないと、そう言って、戦っていた奴がいたんだ」
「うん」
それは、ザフトの人だろうか。
みんな、同じ思いで戦っているのだと思うと、やりきれなくなる。
「戦争で、家族を亡くして。だから、今度は守れるようにと、軍人になったんだそうだ。・・・俺と、同じに」
「うん」
少しかなしい思いと共に相づちを打ってから、キラはふと顔を上げた。
アスランは、どこか遠くを見ていたその瞳に、映っている人。
「その人のことも、守りたかった？」
聞くと、想像通り、こくんと頷く。
「ああ。・・・・・でも、守れなかった」
うめくような声が、シーツに落ちた。
あまりにも、悲痛な声だった。
「・・・死んじゃった、の？」
キラの声も、かすれる。
死は、いつも世界に溢れている。
「い、や。でも俺は、あいつを、助けてやることが出来なかった」
薄く膜の張ったような、アスランの瞳。
キラは、その瞳に映る闇を思う。
2年前、戦ってしまった自分たちを思う。
あの時のキラたちのように、あの闇の中を這いずり回っていた人がいたのだろう。
それは、アスランがキラたちを守ろうとして落ちた闇でもあり。
そうしてひとつ間違えば、キラもまた、落ちてしまうかもしれない闇。
そうしてアスランは、そこからその人を引き上げることが出来ないまま、ここに戻って来てしまったのだろう。
「・・・彼に、撃たれた」
声は、涙に滲んでいた。
「彼女とも・・・メイリンとも、士官学校の同期で、ずっと、同じ艦に乗って、ずっと・・・」
それ以上は、言葉にならず。
再びこぼれる嗚咽を聞きながら、キラは、そっとアスランの髪を撫でた。
そうか。
アスランは、その人のために泣いていたのか。
仲間、友達、同期。
言い方は違っても、あの時キラを撃ったアスランと同じく、守るべき者を撃ってしまった人。
あの闇から、救い上げられなかった人のために、泣いていたのか。
アスランらしい。
キラは、そっと、アスランの手を取った。
厚いガーゼに覆われていないところにも、細かい傷が無数にあった。
きっと、先の大戦でずっとキラにそうしていたように、この手がぼろぼろになるまで、その人に手を差し伸べ続けていたのだろう。
そうして、その果てにキラを撃ってしまったから。今度は自分が撃ち落されても、その人を討つことが出来なかったのだろう。
でも。
でも、それなら。
「アスラン、でも、まだ終わりじゃない」
緩く握った手に残る傷。これはきっと、無駄じゃない。
「まだ、何かできるはずだよ」
何故なら。
「だって、生きているんだもの。君も、その人も」
アスランの瞳が見開かれる。
涙を溜めた、綺麗な翠。
キラの、親友の色。
「キラ・・・」
キラは、安心させるように、力強く頷いて。
「だから、早く元気にならなくちゃね」
今は、キラもアスランも何の力も持たぬ身だ。大切なものを守るには、よりいっそうの困難が伴うだろう。
でも。
それでも。
僕らは、生きているんだから。
アスランが、こくりと頷いた。
その肩に毛布を掛け、もう一度、涙を拭い。
「・・・ありがとう、キラ」
キラを映したアスランの瞳が。
ほんの少し笑って、キラを安心させた。
ねえ、君。
アスランが守ろうとしている、見知らぬ、君。
だから君も死なないで。
生きていれば、きっと。
きっと・・・
アスランが眠ったことを確かめて、キラはブリッジへと向かう。
ザフトの、そしてロゴスの動きが知りたかった。
キラを守ろうとしてくれる、アスランのように。
キラも、アスランと、彼の守ろうとするものを、守りたかったから。
この生命、続く限り。